飯田町町会 町の変遷

令和4年 飯田町町会長 松村善一
~令和4年 飯田町町会長  向笠 滋
1966年(昭和41年)10月1日 飯田町一丁目町会から飯田町町会と改める
1966年(昭和41年)住居表示により「飯田町」という町名が無くなる。
1953年(昭和28年)10月1日 飯田町一丁目町会結成
1928年(昭和3年)甲武鉄道牛込駅と飯田町駅が廃止され、その中間に飯田橋駅が開業。
1895年(明治28年)甲武鉄道飯田町駅開業し、始発駅となる。
1885年(明治18年)鈴木梅吉がこの地に 日本帝国徽章商会を創設
1872年(明治5年)飯田町が正式な町名となる
明治の始め、榎本武揚が北辰社牧場を開いた。
1590年(天正18年)飯田町という町名が誕生

江戸に入府した家康の案内役が、村の住人飯田喜平衛といい、その名から飯田という地名が生まれた。

飯田町(いいだまち) 町名の由来

町名由来板 設置年月日:平成17年2月27日
所在地:飯田橋二丁目4番


かつてこのあたりは千代田村と呼ばれるのどかな農村でした。ここに飯田(いいだ)という地名が生まれたのは、徳川家康(とくがわいえやす)が江戸にやってきてからのことです。


天正(てんしょう)十八年(1590年)、江戸に入府した家康は、千代田村とその周辺を視察します。このとき案内役を買って出たのが、村の住人飯田喜兵衛(きへえ)でした。「所(ところ)の巨細(こさい)とも申上(もうしあげ)(土地のことについて、細かく詳しく申し上げた」(『新撰東京名所図会(しんせんとうきょうめいしょずえ)』より)という喜兵衛の案内に感心した家康は、彼を名主(なぬし)に任命し、さらに地名まで「飯田町」とするように命じたのです。以来、江戸の町の開発が進み、この界隈(かいわい)に武家屋敷がひしめくようになっても、飯田町という名前は残りました。ただし江戸時代の武家地は町名をもたなかったため、飯田町は通称として使われていました。


飯田町が正式な町名となったのは、元飯田町や周辺の武家屋敷などが、飯田町一丁目~六丁目に再編された明治五年(1872年)のことです。ここには飯田町三丁目と同四丁目などが誕生しました。昭和八年(1933年)になると、区画整理によって飯田町三丁目の東側と同四丁目の南側、同五丁目の一部などが、新たに飯田町一丁目となります。さらに、昭和四十一年(1966年)、住居表示の実施により、飯田町一丁目は、飯田橋一丁目、同二丁目などに再編されました。ちなみに、目白通りに対して西側は飯田橋一丁目に、東側は飯田橋二丁目として区分けされ、現在に至っています。

町名由来板より